政治や社会を「誰か任せ」にする国民意識について

「愛国心」と聞いて、どこか古臭く、押しつけがましく、時には恐ろしいもののように感じる方が、今の日本には少なくないのかもしれません。
しかし私たちがここで申し上げたいのは、過去の軍国主義的な滅私奉公でもなければ、中国共産党や北朝鮮、ロシアのような独裁体制が用いてきた、権威の正当化としての愛国心ではありません。

私たちが信じ、訴える愛国心とは、誰もが本来持ち合わせているはずの、ごく自然な感情です。
ふるさとの風景を大切に思い、家族を守り、地域の営みに目を向けるという、静かで誠実な心のあり方から出発し、やがて国全体を想う志へと育ってゆくものです。
それは決して誰かに命じられて身につけるものではなく、自らの意思と責任において育まれるべき精神です。

しかしながら、いまの日本において、この「国を想う心」は、著しく失われつつあるのが現実です。
地方は静かに消え、高齢化と人口減少が止まらず、橋も道路も水道も、築かれた時代のまま朽ちていき、財政は音を立てずに沈みゆき、自然環境は利益優先の開発の前に破壊されています。
それにもかかわらず、国の行く末を決定づける選挙のたびに、国民の半数以上が投票すら放棄し、政治にも地域にも無関心なまま日常を過ごしているという事実こそ、私たちが直視すべき最大の危機であります。

今はスマートフォンひとつあれば、何が起きているかを即座に知ることができる時代です。
誰もが情報に触れる機会を持ちながら、多くの人が自ら調べようとはせず、上辺の言葉だけを拾い、考えもせずに拡散し、その内容の真偽すら確認しようとしないまま、数日も経てば忘れてしまう。
そのような薄っぺらな情報消費の背後には、日本の言論と放送を実質的に支配し、国民の視点を外へ逸らそうとする外資系株主の影が色濃く存在しています。

国民に届けられるべき情報が、資本の都合によって選別され、日本人が日本を見つめる視線すら歪められている現実に、多くの人が無自覚のまま暮らしているのです。
そしてその無関心が、まさにこの国を根底から蝕んでいるのです。

本来、「国民である」ということは、ただこの国に住んでいるという意味ではありません。
この国の未来に対して責任を持ち、地域や社会のあり方を考え、時には声を上げ、行動するという覚悟を抱いて生きる者こそが、本当の意味での国民なのです。

だからこそ、私たちが今すぐに取り戻さねばならないのは「関心」であります。
関心を失った人間は、自分の暮らしや未来を他人任せにし、その結果、日々の不満を誰にも届かぬ言葉で呟くだけの存在に堕してしまいます。

まずは、自分の住む地域に目を向けてください。
何が起きているのか、どんな開発が進んでいるのか、それは誰のためのものであり、誰にとって不利益となるのか。
自らの目と頭で確かめ、判断し、もしそれが地域の未来のために必要なものだと信じられるならば、同じ志を掲げる代議士を見極め、選挙という正当な手段によって、その人物に一票を託していただきたいのです。

投票とは、単なる手続きではありません。
それは国民が、国家の針路をともに選び取る覚悟を示す、最も確かな行動です。

逆に、その施策が故郷を壊し、子や孫に禍根を残すと判断したならば、ためらうことなく反対の声を上げてください。
声を上げることが難しい方も、すでに行動している者を支え、共に歩んでください。
そうした小さな意志の集まりが、やがてこの国を根底から変えてゆくのです。

日本という国は、決して与えられたままのかたちで未来に残っていくものではありません。
私たち一人ひとりの思いと行動の積み重ねによって、かたちづくられ、守られていくものです。

私たちはこの国に生まれ、この国で育ち、この国の未来に生きていく存在です。
だからこそ、もう一度日本という国を見つめ直し、愛してください。
ふるさとの景色を愛し、家族の平穏を守り、地域の声に耳を傾け、この国の未来に心を寄せてください。

この国を変えるのは、内閣でもなければ制度でもありません。
ましてやマスメディアでもありません。
この国を動かす力を持っているのは、今この瞬間にこの国に生きる、あなた自身であります。

知ろうとし、考え、判断し、そして行動すること。
それこそが日本を守るための最初の一歩です。

どうか、確かなその一歩を、今この瞬間から踏み出してください。