OUR POSITION

防諜問題

スパイ問題の先(防諜問題)

日本という国家が、いまどれほど危うい立ち位置に立たされているか、そのことに気づいている日本人は多くはいないのかもしれません。

しかしそれは確実に皆様のそばに音もなく、誰にも気づかれることもなく、長い年月をかけて築き上げた日本の力が、静かに確実に外から吸い上げられているのです。

その流れは、目に見える戦いや戦争、ミサイルが飛ぶ物でもありません。 かつての侵略以上に複雑で根深く、国家を根こそぎ奪うものであるという意味で、この新しい「戦い」は、間違いなく日本の安定を揺るがしています。 私たち日本人はその現実にあまりにも無防備すぎたのではないでしょうか。

この国が神話の時代より築き上げた歴史、伝統、文化、自然、知識、研究成果、産業技術、環境資源等、これらは一部の権力者や企業が作り出した物ではありません。先人から続く国民一人ひとりが、勤勉実直な生活習慣の基、学び、働き、時には遊び投じてきた人生そのものが礎になっているのです。

その努力の果てに生まれた数々の価値が、音もなく流出し、他国の枠組みに組み直され、数年、あるいは十数年という時間をかけて、まるで最初から他国の知見であるかのような顔で、この日本へと戻ってくる。日本国民はそれを疑問も抱かずに受け取り、購入し、消費し、結果として外貨獲得に協力してしまっている。

バブル崩壊後30年日本は変わっていない、変われなかったそう語られることがあります。確かに、経済の停滞や研究開発費や防衛予算など、国家の中長期戦略にかかる投資の多くが、諸外国と比べて大きく増えてこなかったという事実はあります。むしろこの期間は横ばいか国民の感覚では下降気味で推移し、民間の現場が知恵と工夫で補ってきたというのが実情です。

私達は、それをもって「変わらなかった国」と言い切ることに、どうしても違和感を覚えます。この国は、変わらなかったのではありません。変えようとした力が、内外の圧力や制度的欠陥によって、次々と奪われてきたという歴史こそが、30年という停滞の正体だったのではないでしょうか。

改革の芽は、ことごとく潰されました。制度設計は、中途半端なまま止まり、外資は戦略的に人材と技術を取り込み、国はそれに「市場の自由」という言葉で背を向けました。その積み重ねの中で、「変えようとした者」が去り、「変える力」そのものがこの国から消えていったのです。

今、情報という新たな戦場において、私たちは再び問われています。「国家を守るとは何か」という問いに、私たちはどう答えるのでしょうか。

国家を守るということは、何も銃を持つことだけではありません。戦車や戦闘機を並べることだけが防衛ではありません。技術を、知識を、情報を、未来を守ること。それもまた、確実に「国防」なのです。

簡単に情報を渡してはならない。国家の根幹に関わる情報や技術には、重みがあり、責任があり、覚悟がある。だからこそ、流出させた者への相応の処罰が必要であり、軽率に扱った者が職を失い、人生を懸けて責任を問われるような、そうした「緊張」がこの国には必要なのです。

今の日本には、それがない。情報は出ていき、誰も処罰されず、組織も崩れたまま。それで、果たして国を守っていると胸を張れるのか。私たちはその問いに対して、真っ向から向き合う時期に来ていると感じています。

近年、ようやくセキュリティークリアランス制度、スパイ防止法の議論が出始めました。それは前進かもしれません。私たちが本当に考えなければならないのは、その「先」であり、制度が形になったとき、それを誰が運用するのか、誰が現場で動くのか、どの組織が取り締まり、どの機関が処罰を執行するのか。 その肝心な現場の設計すら決めないまま、制度だけを論じても、現実には一歩も動かないままなのです。
現在の日本には、情報保全に関わる機関として、公安警察のほかに、公安調査庁、防衛省情報本部、内閣情報調査室などが存在しています。 しかし防衛省情報本部の任務は主に通信傍受や電波情報収集といった技術的分野に限られており、人的諜報への対応機能はほとんど存在しません。また内閣情報調査室は政策支援的な分析機能に偏っており、現場での諜報防止活動には乏しいという構造的問題を抱えています。

逮捕や拘束の権限を持つのは警察だけであり、実際の摘発は警察、特に公安部門に依存しているのが現状です。そのため、仮にスパイ行為が発覚したとしても、逮捕後は勾留期間を経て不起訴となる例が多く、結果として国外逃亡が常態化しています。仮に起訴された場合であっても、多くは執行猶予付きの判決となり、重大な国家的損失をもたらした外国の工作員であっても、あくまで日本国民と同じ刑法の枠内で、一般刑事事件と同様に処理されているのが実態です。情報の種類や国家機密の重大性に関係なく、刑事司法上の扱いに違いがないという現状は、果たして主権国家のあるべき姿と言えるのでしょうか。

日本国民に対しては厳格な監視や法的制約が課されている一方で、外資や外国人工作員に対しては、制度上も運用上もほとんど無防備に近いまま放置されてきたのは、極めて不自然であり、主権国家として看過できない矛盾です。

日本の情報機関は互いに独立したまま、統一的な連携体制を構築する動きも見られず、情報は各省庁で分断され、共有されることなく埋もれています。このままでは、国家の中枢に深く関わる情報が誰にも守られずに失われていく未来は免れません。

国家の存立に関わる情報に対して、より一体的で機能的な統治体制と実働機関の整備が急務であることは、もはや疑いようがないはずです。

アメリカにはCIA(中央情報局)、NSA(国家安全保障局)、FBI(連邦捜査局)という機関があり、イギリスにはMI5(保安局)とMI6(秘密情報部)があり、フランスにはDGSI(国内治安総局)、イスラエルにはモサド(諜報特務庁)が存在します。ロシアにはFSB(連邦保安庁)とGRU(参謀本部情報総局)、中国には国家安全部が、韓国には国家情報院が、北朝鮮ですら偵察総局、国家保衛省、朝鮮労働党統一戦線部という三つの情報・工作機関を有しています。

それぞれの国が、自国の情報を守るために、予算と人材、訓練と制度を整え、情報戦を「戦争」であると捉えて本気で備えているのです。彼らは情報を国家の神経であり、国土と同じように不可侵のものと考えているのです。

それに対して日本はどうでしょうか。法律が成立すれば、すべてが守られるかのように思っていないでしょうか。制度を並べれば、それで終わったかのような空気に包まれてはいないでしょうか。

制度があっても、それを動かす人材と組織がなければ、何も変わりません。実行力を欠いた法は飾りにすぎません。守る意志のない制度は、最初から形骸にすぎません。

情報が奪われた時、これまでの日本はどう対応してきたでしょうか。不起訴、処分保留、国外逃亡、報道すらされないまま損失は闇に沈んでいきました。何が奪われたのか、誰が関わったのか、どれほどの損害だったのか、そうした内容は何も伝えられないまま情報、技術だけが二度と戻らぬかたちで持去られていきました。

金で情報を買い、見て見ぬ振りをし黙っているの誰かの正しい答えを国民ひとり一人が出さねばなりません。

国民ひとり一人が守らなければ誰がこの国を守るのでしょうか。情報、技術が奪われ人材が抜かれ、その知識が持ち出され気がついたときには、もうすでに何も残っていなかったということにならぬように。法を整えるだけでなく、それを誰がどのような形で運用するのか。国民が理解しえる意志があるのかを考える時なのです。

この問題を、身近な友人知人、家庭や職場または地域で話し「本当に日本の情報は守られているのか」「警察で良いのか」「誰が動くべきなのか」「このままでいいのか」その答えをあなた自身が考え行動を起こしてこそ、この国が何をすべきか自身がどのように関わっていくべきなのか考えてみてください。

国家とは仕組みではなく、意志によって成り立つものです。国家の意思は目を覚ました国民の声からしか生まれません。このままではダメだと気づいた方から語り始め、その声がこの国を守る盾になるのです。

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