現在、我が国では米問題が深刻化している。この問題は単なる農業政策の失敗ではなく、国家の根本的な構造と国民の誇りを揺るがす重大な問題である。古米、古古米、果ては古古古米までを市場に流通させ、国民の食卓に「当たり前」のように押しつける現状は、政治家たちの無責任な判断と国民第一を忘れた国家運営の象徴である。もし小泉のような利権と保身に走る政治家が農政の舵を取れば、米問題は一層悪化し、日本人の食文化はさらなる破壊に追い込まれることは避けられない。
農水省の公開資料によると、令和4年9月の全銘柄平均価格は13,961円/60kg(およそ1,163円/5kg)であった。しかし、国家が保有する古米や古古米は、加工用や飼料用として販売される場合、相場よりも大幅に安い価格で取引される事例が確認されている。こうした低品質米が、本来は家畜用の飼料などに供されるべきものを「国産米だから安全」と欺き、国民に流通させる動きに不安が広がっている。
平成5年の米不足、いわゆる平成の米騒動を思い起こせば、冷害による大凶作の際、政府はタイ米やカリフォルニア米を大量に輸入し、国民に供給した。当初は不評と混乱を招いたが、最終的には「やはり日本の米が一番」という声が広がり、日本の食文化と誇りを守り抜いた。しかし今、再び同じ過ちが繰り返されようとしている。新米は海外に供出され、国民には古米や古古米が「安価な消費者義務」として押しつけられようとしているのだ。
この流れが定着し、「これが当たり前」とされるようになれば、国民は国家の言うことに逆らえず、支配される社会主義的な構造が完成してしまう。新米は国民の手に渡らず、口には本来口にすべきではない古古古米が並ぶようになり、生活全体が国家の都合に従わされる構造が根付いてしまう。さらに深刻なのは、国民一人一人が「このままではおかしい」「誇りある食文化を守りたい」と思っていても、その意思が国家の圧力と空気によって抑え込まれてしまう現実である。声を上げれば「反社会的」「非国民」と烙印を押され、周囲から孤立させられ、職場や地域で居場所を奪われる恐れすらある。メディアは国家の意向に沿った報道を繰り返し、反対の声は伝えられず、真実は覆い隠され、国民の耳と目は塞がれてしまう。このように、国民が自らの意思を持とうとしても、それは国家権力の強制により踏みにじられ、従わされる現実が今、着実に進行している。
これは単なる農政の失策ではない。国民の自由と誇りを根底から奪い、国家と利権層の都合のために国民を「従わせる」仕組みであり、その実態は社会主義的な国家構造そのものである。表面上は選挙権や議会制度を有し、自由に選択できるように見せかけられても、実際には「これしかない」「仕方がない」と錯覚させられ、国民は国家が用意した枠組みの中でしか動けない仕組みに縛られているのだ。
国民の手でこの国のあり方を正し、真に国民第一の政治を取り戻すことこそが、いま求められている。平成の米騒動で「やはり日本の米を守るべき」と立ち上がった国民の記憶を呼び覚まし、誇りある日本の食文化と自立を守り抜く覚悟を持たねばならない。古米や古古米を受け入れさせられ、「国産だから安全」と欺きつつ、実態は家畜飼料にもならぬ低品質米を押しつける国の在り方は明らかに間違っている。これは国民の自由と尊厳を奪い、国家の枠組みに従わせる社会主義の流れに他ならない。
いまこそ国民一人一人が声を上げ、この歪んだ仕組みと流れを変えなければならない。国民の生活と尊厳、そして国家の未来を守るために、真の民主主義をこの手に取り戻す。それが日本の未来を切り拓くために必要な、覚悟と行動である。